オリエント急行の殺陣

もっと生きやすくなりたいよぉ

伊勢神宮はガチで膝を治せる

 私はあんまりスピリチュアルなことは好きではない。なぜなら祖母はカルト宗教で典型的なでかくてクソ高いツボを買い、母は背後霊の見えるクルクル髪の厄介なおばさんがやっている美容院で反ワクに染まったからだ。

 特に祖母のカルトは厄介だ。入信するとたちまち全ての物事の正誤の判断ができるようになるらしい。中学生の時、祖母が私の両親に秘密で私をこっそりとカルトの集会に連れて行ったことがある。一回でいいから、なんて祖母なりの善意か下心かわからないセリフを言われ、わかった、と素直に従った。内心「誰がカルトにハマるかよ。祖母孝行するだけだっつーの」と思いながら参加した集会だったが、参加してビビった。神のお告げをみんなで拝聴するのだが、その神のメッセージ受信方法が、舞〜まい〜なのである。30人程度の前のお立ち台に1人が立ち、謎のダンスを始める。するとみんながぼそぼそ同じようなことを呟き出す。「家族を 入信させないと 不幸に なる 布教が 足りていない から 家族も 不幸になる」などとダンスの動きを読み取ってお告げを聞くのである。謎の共通言語だ。ビビった。誰が初見でこれを見て「素晴らしい!入信します!」なんて言うのだろう。その舞を練習する間に英語を勉強していたら、この宗教の信者はみんな世界へ羽ばたいていけるだろう。この時に勉強意欲が芽生えた私は、きちんと学校で学んで地方優良国立大学へ進学した。ありがとう神様!

 そんなこんなでスピなことに多少の苦手意識を芽生えさせながらも、近所の神社に初詣には行くし、三重に観光に行ったからには伊勢神宮に参るのだ。ちょろっと5円ごときのお賽銭を入れて、この時ばかりは都合よく「今後一年幸せに過ごせますように!」「社会不適合者になりませんように!」などと神様にお願いしている。後者はかなり失敗しているが。

 伊勢神宮の参拝時、かなり悪いところがあった。膝である。三重で就活時に泊まった宿に無料のマッサージチェアがあった。ラッキー!とアホな私はふくらはぎを揉みほぐすはずが、当てる場所を間違えて膝を圧迫してしまい、それからずっと五千歩程度以上歩く痛みを感じる身体になった。幸い引きこもりだったためそこまで被害はなかったが、残念なことに伊勢神宮には空港のような動く歩道はない。同行者たちに置いていかれそうになりながら足を引きずって歩いていた。

 ここで、伊勢神宮を参拝するときの正式なルートを紹介する。伊勢神宮には外宮(げくう)と内宮(ないくう)があり、外宮→内宮の順に回る。外宮内ではいくつか宮があり、御正宮→多賀宮→土宮→風宮という順になっている。知ったような口を聞いているが、きちんと参ったのは一度しかないのでネットで全然調べて記載した。

 外宮の2番目の宮である多賀宮の前にはまあまあの段数の階段があり、当時の私の膝はそこに辿り着く頃には既にイテテになっていた。片足で一段ずつ階段を登る。わたし今後ずっと膝が悪い人なんだ、マッサージチェアミスっただけなのに。アホくさ、、、。ほんのり泣きそうだったところに、脳に直接語りかけられた。

「賽銭をいっぱいいれろ!」

この時、私には1円玉と10円玉と100円玉の選択肢があった。しかしお賽銭に100円なんて有り得ない。まあ、1円はないな。10円入れるか。

「100円にしろ!」

え、ええ!ひゃくえんですか!?100円になってくると買えるものが出てくる。皆様もまあそんなモンなんじゃないかと思うが、それまでの私のお賽銭の価値なんて百均以下だったのだ。だが、これはおそらく"お告げ"だ…。初めてのスピ体験に戸惑いながら、しっかり100円玉を投げ込み、これで許してください…と唱えた。

 多賀宮参拝後の下りの階段で、気づいたら膝が痛く無くなっていた。100円ごときで。プラシーボ効果かもしれないし、私の膝は実はすでに治っていて、五千歩歩いたら痛くなるんだと思い込んでいただけだったかもしれない。でも、その日から膝は痛くないのだ。

 多賀宮は荒々しく顕著な荒御魂をお祀りしていらしい。100円ごときで助けてもらえるなら、実はそこまで荒々しいことはないかもしれない。次は500円入れよう。500円は新卒の雑魚給料ではなかなか痛手だが、それ以上の価値がある、あるから、迷うな自分。直前に迷いそう。そのときは「500円入れろ!」なんてメイドインワリオみたいなコマンドが頭に浮かんでくれることを祈る。

 

 

仕事を辞められないほど美味いお茶、ヤメチャ

 理系院卒、それはまあピカピカの新卒で就職した会社であるが、まだ1年も経たない今日もあまりに辞めたい。毎日やめたい辞めたいと友人にこぼし、悩み相談の体なのに、そろそろ「なんで早く辞めないの?」とキツめのアドバイスを頂戴しだすこの頃である。

 鬱気味なのか、就職してから口が乾くようになった。営業のくせに一言喋るたびに舌が絡まる。

「アッ!ども!お世話になておりみす。ア、えーと、商品いかカッですか!?」乾燥とかの問題でもないかも。

 夏頃からは対策として会社にコップを持って行って、水道水を飲んでいた。中京工業地帯で頭を張っている四日市の水道水は、控えめに言って泥である。鼻に抜ける独特の風味は、塩素を液体にしているとしか思えない。

 余談であるが、デスクの引き出しに無印のチャイの粉を常備し、水に味をつけて飲んでいた時期もあった。数ヶ月後にはたと思い出し、再び溶かしてみると何か細かいものが浮いている。目を凝らすと、あ、脚がつ…いて…いや、もう思い出さないでおこう。(涙)皆様においては、私を反面教師として粉末飲料は開封したら早く飲まれることをここに誓っていただきたいです。

 なにはともあれそのまま営業成績は伸びるどころか下がりながら冬を迎え、経費に厳しすぎて暖房さえ制限する極寒の職場でカーディガンやらダウンやらを着込んで、本業の営業をサボって事務作業をしていたが、ふと思い出した。お茶出しを女に任せる職場のお昭和ハゲジジイどもだけが飲む暖かいドリンクのことを。

 無能新入社員だが、茶くらい飲んでもいいだろう。そう思って、もう慣れた手つきで急須にお茶っ葉とお湯を入れ、今まで水道水の受け皿として使っていたペンギン柄の超可愛いマグカップに注ぐ。

 「え、なにこれ、うっま」

 口に入れた瞬間、舌触りが"丸い"と感じた。甘味、酸味、苦味がバランスよく香ってきて、もはやカロリーを感じる。こんな美味いものが0キロカロリーなわけがないだろ。

 茶葉の容器には「八女茶」とある。だがこれは昔からのただのお茶っ葉用容器であり、いつも詰め替えているためその実は何茶かわからない。

 お茶ってこんな美味いのか。よし決めた、お茶を趣味にしよう。お茶を嗜んでいるなんて、どれだけ奥深い人間に見えるだろう。ウフフ。私は来客のお土産で謎にたくさん貰いまくったお茶を片っ端から飲んだ。しかし、、、

 「違う…あの味じゃない…」

記憶喪失の道明寺が牧野以外の女の作ったクッキーを食べてブチギレたのを完璧に理解した。

 「恋の味だ…」

 再び「八女茶」の容器に入ったあのお茶を飲む。最近は1日4杯の八女茶(?)をがぶ飲みメロンソーダより全然がぶのみしている。トイレ休憩も増えていいかんじだ。窓際社員ムーブのレベルアップを感じる。

 このお茶が八女茶なのか、そうでないのか、今はわからない。だから、まだ真相を知るまでは、会社が辞められないのである。詰め替え元がなんなのかを探るには、雑用担当として出世し、詰め替えという高度技術を身につけなければならないのだろう。その日まで、私は、窓際で、生きる。